Hello。その一言で、イメージは生まれる。
イギリスの元首相マーガレット・サッチャー。リンカンシャー州グランサムの食料品店に生まれた彼女は、政治家として上り詰める過程で話し方を変えた人として知られている。
きっかけは、声を理由に党の政治放送から外されたことだった。メディアアドバイザーのゴードン・リースがブライトンからロンドンへ向かう列車で偶然ローレンス・オリヴィエと乗り合わせ、ナショナル・シアターのヴォイスコーチを紹介された。
首相でさえ、変えなければならなかった。それほどに、話し方は人のイメージを左右する。
俳優も同じだ。トム・クルーズはどんな役を演じても、役柄に合わせて発音を変えつつ、人がわからなくなるほどには外さない。レイフ・ファインズも、マギー・スミスもそうだった。俳優は役柄によって発音を操っている。役柄を作るためでもあり、イメージを変えるためだ。
発音はそこまで重要か。実を言うと、私はかつてそこまでは思っていなかった。
発音はその人が平気であればそれでいい。たとえばここロンドンで、腕の良い鍼灸師に発音が悪い人は多い。でも、その人に別の力があって、相手が話を聞きたいと思えば人は聞くのである。その人に他の魅力があれば、人はその人と話そうとする。そう考えていた。
それが変わったのは、ロンドンに来てからだった。
イギリスでは「話せばその人の職業がわかる」と言われる。最初はそれって、どういうものかと思っていた。何年か暮らすうちに、その意味が感覚としてわかるようになってきた。
決定的だったのはコロナだった。世界が止まり、在宅になった。娘たちの会議の声が聞こえてくる。隣の部屋から夫の会議の声も毎日聞こえてくる。ビジネスの相手、本を執筆していた時期には第一線の科学者たち、著名人。
ふと気づいたのは、この人たちの発音がみな綺麗だということだった。
分野は関係ない。ビジネスでも、科学でも、ある層の人たちの発音には共通するものがある。教育のレベルや社会的な立場と、発音は——良い悪いは別にして——比例している。
イギリス人だけの話ではなかった。あるビジネスマンの生徒が言った。「アメリカも大なり小なりそうですよ」と。
ある日、私たちはハウスキーパーを選ばなければならなかった。どうやら夫が良いイメージを持つのは発音が良い人だということがわかった。発音が良いだけで英語力はそれほどでもないという人もいるけれど、最初のイメージは良い。
住んでいるアパートメントのガーデンパーティに行くと、集まっている人たちの発音が揃っている。
Hello。その一言で、イメージは生まれる。